وەرگێڕاوی یابانی - سەعید ساتو
وەرگێڕانی ماناکانی قورئانی پیرۆز
وەرگێڕان: سەعید ساتو. پەرەیپێدراوە بە سەرپەرشتیاری ناوەندی ڕوواد بۆ وەرگێڕان، پیشاندانی وەرگێڕاوە سەرەکیەکە لەبەردەستە بۆ ڕا دەربڕین لەسەری وهەڵسەنگاندنی وپێشنیارکردنی پەرەپێدانی بەردەوام.
قُلۡ أَعُوذُ بِرَبِّ ٱلنَّاسِ
(使徒*よ、)言え。「私は人々の主*に、ご加護を乞う、
(使徒*よ、)言え。「私は人々の主*に、ご加護を乞う、
مَلِكِ ٱلنَّاسِ
人々の王、
人々の王、
إِلَٰهِ ٱلنَّاسِ
(真に崇拝*されるべき唯一の存在である、)人々の神[1]に、
[1] 「神」については、雌牛章133の訳注を参照。
(真に崇拝*されるべき唯一の存在である、)人々の神[1]に、
مِن شَرِّ ٱلۡوَسۡوَاسِ ٱلۡخَنَّاسِ
頻りに身を潜ませて囁きかける者[1](シャイターン*)の悪から。
[1] シャイターン*は不注意な時には囁きかけてくるが、アッラー*が想起されると「身を潜めてしまう」(ムヤッサル604頁参照)。
頻りに身を潜ませて囁きかける者[1](シャイターン*)の悪から。
ٱلَّذِي يُوَسۡوِسُ فِي صُدُورِ ٱلنَّاسِ
(それは、)人々の胸に(悪を)囁きかける、
(それは、)人々の胸に(悪を)囁きかける、
مِنَ ٱلۡجِنَّةِ وَٱلنَّاسِ
ジン*と人々である」。[1]
[1] 家畜章112も参照。尚、人間のシャイターン*の「囁き」とは、同情的な忠告者を装(よそお)って、ジン*のシャイターン*が囁くようなことを、忠告の形で胸に訴(うった)え かけること(アッ=シャウカーニー5:708参照)。
ジン*と人々である」。[1]
share_via